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恐縮です!第三回は青山スパイラルレコードの店員で8月いっぱいでお店を辞めてジャマイカに留学してしまった水野真介a.k.a.RUMHEADに送別会の席でインタビュー。シンスケはぺぺがCAYで初めてライブやったときにMCしてもらったこともあったっけ、そんな感じでラップでインタビュースタート!
―YO!恒例になっているので、かるく生い立ちを話してよ?
シンスケ(以下:シ):生まれは愛知県の東海市です。小学校の頃は生徒会長とかをやったりしててわりと人気者でした。小学校5年生の頃からサッカーを始めて韓国に遠征とかにも行った事もあります。中学のときもサッカーばかりでした。高校はサッカーが強い松蔭高校という学校に行きました。サッカー推薦とかそういうのではなく勉強して、うちの中学から初の入学者だったみたいです。
_なかなかやるねぇ。サッカーは何処のポジションをやってたの?
シ:スイーパーですね。高2のころにインターハイに出場したんですが、そのときの3年生に県選抜に選ばれるようなスイーパーの人がいたのでもっぱらベンチでしたね。結局インターハイは2回戦敗退でした。
_音楽の話が出てこないけど、何時からガッツリ聴くようになったの?
シ:東京の大学に進学する為に上京してきてからですね。クラブに行くようになって最初はハウスが好きで、エンマとか好きでした。リキッドルームのXTRAとかUKハードハウスとかのパーティーに行ってましたね。それからトランスとかゴアとかが好きになってレイヴに行くようになってジャングルがきて、レゲエ、ダブって感じですかね。
_なるほど、でDJを始めたのは?
シ:二十歳ぐらいですかね。WEBに遊びに行ってたときに知り合いに朝本さん(朝本浩文))に紹介してもらって、それがきっかけでDJを始めるようになりましたね。99年に青山のfaiで自分でパーティーをやって、それが初DJですかね。ジャングルとダンスホールのイベントで、ゲストでRyo The Skywalkerさんとかに出てもらって200人くらい集まりましたかね。
_DOPE!スゲー!初イベントで200人!主に何処で回してたの?
シ:WEBだけですね。朝本さんとやらしてもらってました。99年から01年ぐらいまでかな?
_では、最初に買ったレコードは何?
シ:小学校の時に少年隊の「仮面舞踏会」かな?
_♪トゥナイヤイヤイヤイヤイヤー ティア!ではDJやるようになってからは?
シ:MORE ROCKERSの「sellection 1」ですね。衝撃的でした!ヤバイ!
_なるほどDEFな。要チェック!では、DJネームのRUMHEADの由来はなんなのよ?
シ:~ヘッドっていうのがいいかなぁって思ってて、酒飲みだったし、ジャマイカッつったらラムかなって感じでラムヘッド。なんかジャマイカのスラングで酒飲みっていう意味もあるみたい。
_うーん、今までで一番良い由来のような気がするゾ!じゃあそんなジャマイカ好きでジャマイカに行っちゃうシンスケにとってジャマイカって?
シ:良い空気の国ですね。
_DOPE!深ぇなぁー。何がすきなの?
シ:臭いかな。言葉では表せないっすね。行けばわかる。
_行けばわかるさ。ありがとー。か、猪木もびっくりだ。じゃあジャマイカでどうすんの?
シ:生活してきます。それと嫁さんみつけます。
_嫁さんねぇ、じゃあ好きな女性のタイプは?
シ:ラテン系の女性が好きですね。女優さんだとペネロペ・クルスが好き!
_FRESH!ラテン系なのかな?ペネロペさんは。では告白するのとされるのどっちが好き?
シ:するのが好きっすね。最初のデートでしちゃうタイプですね。帰りの電車に乗る前にしちゃいますね。
_そんな感じがラテン系にはいいかも?ジャマイカでしっかり生活してきてね。ありがとう。ヤーマン!
という感じで送別会の席ということもありビールが効いていたせいでなんか尻すぼみなインタビューとなりましたが、ジャマイカに行っても頑張ってやってほしいもんですね。ヤーマン!
恐縮です!第二回は青山スパイラルレコードの店長さん我らが山崎真央さんが琵琶湖のBBQに来ていたところをキャッチ!湖畔にて色々聞いちゃいました。ただ、飲んでいた&メモがほとんどできなかったのでまたもや捏造&捏造のインタビューです。
―いきなりですが、かるく生い立ちを話してはもらえないでしょうか?
山崎(以下:山):生まれは和歌山県。母の実家が和歌山だったので。ただ生まれてすぐ東京の中野に来たのでほぼ東京育ちです。父親は元プロボクサーで引退後ジムのトレーナー等をやったのち中野に喫茶店「みつばち」を開きました。まだ小さかったので父親のボクサー時代のことはよく覚えていないです。
―「喫茶みつばち」良い名前ですね!次!
山:高校の頃は遊び仲間とよくクラブとかにいってましたね。88年ぐらいかな?でそのときの仲間にレコードを教わったりしましたね。その後高校は中退してレコーディングエンジニアの弟子になったんですよ、ただそれもやめてやっぱ大検とろう!で、大検とったけど進学先はなぜか音響の専門学校でした。で、専門学校の学園祭でディスコみたいなのをやったときに調子に乗りすぎて教室の天井を蹴り上げて穴あけちゃったんだよね、それで先生ともめてそのときに先生の襟首をつかんで学校のヒーローになりました。あと高校生の頃はよく犬に追いかけられてました。そんな学生時代です。
―なるほど、破天荒ですね。さすがです。で、DJをはじめたのは?
山:ジャズファンクバンドを元々やってたんだけど、難しくてね、、。で1年ぐらいでバンドはやめてその後DJを始めました。21歳ぐらいかな?DJ BAR INKSTICとか CAVE,ROOMなんかでやってましたね。その3、4年後に先に入ってたケンジ君(Gallery)に誘われてMr.BONGOに入って、BONGOには3年半いてそこでハウスを学んだね、アレックスとかいたし。
―人に歴史ありですね。では最初に買ったレコードは何ですか?
山:小6の時にレコードプレイヤーを買ってもらって、親にマイケルジャクソンの「スリラー」を買ってほしいと頼んだらなぜかプリンスの「Around The World In A Day」を買ってきて、どうやらお店に「スリラー」がなくてお店の人にマイケル好きならプリンスでしょ!って感じですすめられて買って来ちゃったみたい。ただそのおかげか今でもプリンスはオールタイムフェイバリットです。その後J.Bとかを好きになりJAZZ FUNK〜 HIP HOPって流れで聴いてました。
―うーん、そのときのレコ屋の店員に感謝!こんなに黒いグルーヴの子に育ちましたよ。ところでHARMONISERとして楽曲制作もしていますが名前の由来は?
山:ファーラブのコンピ用に曲を作って、「今日中に名前を決めてくれ!」って鶴ちゃんに言われたので辞書なんかを見つつ決めました。サンプリング素材のみで曲を作ったので、サンプルをハーモナイズするって所からハーモナイザーに、、、。
―なるほど、色々ハーモナイズしてますもんね、海とか山とかテキーラとか。では、好きな女性のタイプは?好きなタレントとかは?
山:21歳くらいの女性が好きですね。あまりガキ臭いのは好きじゃナイ!タレントだと今は木村カエラが好きかな。
―うーんなかなかマニアックですね。さすがです。では、真央さんと初めてのデートをしたとしたらどんなデートですかね?
山:まずは車で彼女を家まで迎えに行って、首都高をドライブ。その後は海か湖かなぁ。釣りが好きなんで。
―じゃあ、告白するのとされるのどっちが好きですか?
山:どっちも好き!
―欲張りだなぁ、オイ!では、今後の予定は?
山:HARMONISERの活動をもう少し活発にしていきたいですね。
―期待してますよ。俺もハーモナイズされたい!最後にメッセージを。
山:レコードは良いよ!もっとみんなレコードを好きになろう!
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山崎真央
92年から都内各所のクラブでプレイするかたわら95年にMR BONGOで勤務。
99年からRECORD SHOP @ SPIRALに移り、運営やバイイングを中心とした業務、レーベル = farloveのA&R、コンピレーション"TWILIGHT WORLD"の選曲などで活動中。また03年にはfarloveのコンピレーション"BOOK OF DAYS"に HARMONISER名義で楽曲を提供。
という訳で山崎真央a.k.a.HARMONISERさんにインタビューしました。もっと真央さんの話が聞きたいって言う人は青山のスパイラルレコードに行ってミソ。きっとナイスなレコードをおすすめ&ハーモナイズしてくれるゾ!
恐縮です。KBです。ミッチョのBIKEに対抗して新しいコーナー作りました。その名も"interview"。あまりされたことないけどされると困るインタビューを色んな人にしてみようじゃぁないかと。で、第一回はpepeニューシングルの打ち合わせにきていたfarloveの鶴谷さんを捕まえ、SLOWMANのインタビュー!(以下かなり適当なメモしかとっていなかったので、色々つけたしたり面白くしてみたりしました。)
ペペ(以下ぺ):「SLOWMAN、名前の由来は?」
SLOWMAN(以下S):「フラワーレコードのコンピに最初に曲を入れることになってそのとき閉め切り間際で名前を決めなきゃないけなかったんだよね。で、2つ候補があったうちの一つがSLOWMAN。レゲエのDJでYELLOWMANとかNINJAMANとか〜MANっていうのがいるでしょ?ああいう感じから。で、候補のもう一つは”マッドツルフェッサー”(爆笑)。 」
ぺ:「ツルフェッサー!!!(爆笑)。最高!くだらなー!」
S:「ケンジ君(Gallery)とかと渋谷のボールでDJやってたときにそう呼ばれてたんだよね。」
ぺ:「では、軽く生い立ちを語ってみてはくれませんかね?」
S:「幼稚園まで横浜に住んでて、小学校にあがるとき父親の転勤を期に三重県の四日市に引っ越して小学校5年までそこにいて、また転勤で小6の時に横浜に戻ってきて。四日市ではリーダーシップをとって学級委員なんかをやる割と目立つタイプだったんだけど、横浜に戻ってきたときにすごいカルチャーショックを受けて、、、。四日市の田舎では塾に行くような子も居ないしあまり激しいイジメなんかなかったのに、横浜では、塾に通って私立を目指す子もいるし、イジメもバンバンあって、これは気を付けなきゃなやられるぞと転校生なりに考えて、、、。そのときのことが以降の人格形成に大きな影響を与えているとは思います。」
ぺ:「僕らは皆中学生の頃は運動部に入ってたりしたんですけど、なにかやってましたか?」
S:「横浜に戻ってきてカルチャーショックを受けてからは、ひねくれてたっていうか斜に構えるようになって、中学高校と帰宅部でした。でも自分ではプライドを持って帰宅部をやってたので毎日楽しかったです。」
ぺ:「初めて買ったレコードは?」
S:「ベストヒットU.S.A.世代なのでビリージョエルと、シカゴかな?中学生の頃。で、高校の頃は今でもよく聴くCLASHの"LONDON CALLING" とSPECIALSの"MORE SPECIALS"を聴いてた。あ、あとRCサクセションも。」
ぺ:「帰宅部のアンセムだ。ワッショイ!ワッショイ! で、DJを始めたのはいつなんですか!(怒)」
S:「大学生の3年ごろだから22か23歳ぐらいに、当時よくクラブとかに行っていた遊び仲間で、自分たちでも出来るんじゃない?って、代々木公園で始めたのが最初。一番最初は音楽も聴きたいけど飲み物も欲しいって言うことで冷蔵庫を持っていったりしてた。3、4年うだうだやってて、徐々に人も増えてきて多いときには200人ぐらい来てたり。でもそれなりにもめ事あり、テキ屋に蹴りを入れられたり、、、。最後は規模が大きくなりすぎて収集つかなくなって、やめなきゃなって感じで。」
ぺ:「最初のDJが"YoyogiFriendship Project"だったんですね。なるへそ。僕らはライブ前に 緊張をほぐすため、お酒を煽るように飲みライブができなくなるくらいになりまが、ライブ前には飲まれますか?」
S:「それなり飲みますが、普段とかわらないですね。」
ぺ:「大人ですね(関心)。では最後に最近ハマっている物は何ですか?」
S:「セブンイレブンの杏仁豆腐かな?コンビニデザート、甘い物が好きです。あと、24(トゥエンティーフォー)にもハマってます。レンタルしてみてます。まだ途中ですが。芸能人ではグラビア系よりアイドルの方が好きですね。やっぱ、あややでしょう。」
ぺ:「大人ですね。今日はお忙しいところありがとうございました。新作早く出してくださいね。期待しています。」
*鶴谷聡平 aka SLOWMANは東京を拠点に活動するアーティストで、青山のSpiral Recordsのバイヤーとしても知られている。90年代初頭からDJを始め、現Galleryの長谷川賢司らとともに東京のオリジナル・ブロック・パーティーと呼ぶに相応しいフリーの野外パーティー"YoyogiFriendship Project"を代々木公園で開催。Flower Recordsのコンピレーション2作に参加。Bit of Heavenを立ち上げて1stアルバム"From The Floating Deck"をリリースした。
ということで初インタビューは終わりましたが、本当に適当なメモしかとっていなかっためSLOWMANが正確にこう言っていたかはナゾ!多分言ってたと思う、言ってたんじゃないかな?ま、ちょっとは許してください。では、第二回が何時で誰にインタビューするかはわかりませんがまた。バイなら、ナラいば。
